国際ロータリー第2710地区 宇部ロータリークラブ

ロータリーについて
ロータリー誕生の時代背景
国際ロータリーの生誕は、今から遡ること92年前の1905年2月23日である。ロータリー創設者P・ハリスが生まれた18世紀後半の米国は、まだ建国の初期で開拓者・探検家等の手で形成されつつあって、金儲け一本の人心の荒んだ時代であった。  その様な中で、ハリスは家庭の崩壊の為、3才で両親と別れて祖父母に教育される身となった。両親からの愛情の代わりにハリスは他人に対する寛容と思いやり、優しさを祖父母の深い慈愛から学んだ。  5年間の放浪生活の後、シカゴで弁護士を開業したが、これ迄の経験と生い立ちから、孤独と疎外感に悩んだ挙げ句、人間同士の親睦と友愛溢れる社会を夢に描くに至った。  1905年2月23日の晩、P・ハリスは3人の友人と会合したが、4人共米国籍ではあったが、英国系・ドイツ系・スウェーデン系・アイルランド系と欧州からの移民であって、ハリスと同じ悩みを持っていたし、又職業が異なっていることから、会員同士の総合利益に役立てようと考えた。  しかし段々と友人のグループが膨らんでくると、当然にクラブ会員のグループ内の利益に過ぎないとの非難が出始めた。そこでグループ毎のモザイク集団から、もっと広く他を助けるコミュニティへと高めることにより、親睦から奉仕へと即ち人間性の回復となって今日の如き155ヶ国、120万人の会員を擁する大組織の国際ロータリーへと発展してきたのである。

ロータリー誕生の時代背景
ハリスには、生前の意志によって彼個人に関連する記念物は残されていない。ハリス自身が選んだメモリアルは、ロータリー財団であって、後に「国際ロータリーの最高傑作」と言われるものである。又、ロータリー財団奨学金は、ロータリーの創始者P・ハリスの死去を悼んで各国のロータリー・クラブから続々と寄せられた寄付金を基金として世界の青年男女の国際親善・相互理解を促進する為の実践的な基金として創設されたものである。実際にこれらは、ロータリーの創始者に如何にも相応しい記念碑と言えよう。

96〜97年度 宇部ロータリークラブ 会長 藤本正之・記

ロータリー誕生の時代背景
昭和11年の頃かと思うが大阪クラブの村田省蔵氏から、引きつづき神戸商高の田崎慎治先生から、宇部にもロータリークラブをつくったらどうか、将来国際的に発展しようと考えるなら是非ロータリークラブを結成するがよいと強力な誘いがあった。この話は会員国吉省三が両先輩と深い関係があり、当時国吉は創立間もない宇部窒素工業会社の常務をしていたのでその努力によってクラブを結成させようとする意図であったと思われる。国吉は俵田社長にそのことを通じて話しあったが、ロータリークラブについての認識も充分でなかったし、果して相当数の会員が集まるかどうかも覚束なかった。そのために一応時期尚早ということで折角の好意を空しゆうした。当時田崎先生から戴いたロータリー文献が今日もなお残っているが、恐らく宇部の地域にロータリーの話を承ったのはこれが最初の機縁であろう。
 それから時移りで30年から31年初頭山口クラブの菅博太郎氏(当時山口県信用保証協会の専務理事、其の後全国保証協会の理事となって東京に移られた)が度々俵田社長に会ってロータリークラブ結成の促進が企てられ、これに福岡クラブの松田昌平氏も加わって熱心に勧誘せられた。
 当時は県下においても下関、徳山、山口にはすでにクラブが結成されていたので発展途上にある宇部としても聞き捨てにする訳にも行かぬので、31年の春頃、俵田社長は中安専務、国吉を招いていろいろ相談があり、定款の詮索、会員の顔ぶれなど下話を進めるようになった。
 その結果は30人余りの会員はできそうであるから、先輩の援助指導の下に運営すれば人並みのことはできようとの確信を得て、菅、松田両氏の肝煎りで結成の本格的準備を進めるようになった。この間、菅、松田両氏には度々宇部に足を運んで頂いて容易ならぬご苦心をおかけしたが、大体の構想も纒まったので正規に発足することになり、遂に永い間の胎動期を経て、昭和31年7月10日に宇部商工会議所において創立総会を開催し、仮クラブとして発足することができた。
 創立総会には二木謙吾が仮議長となり、中安閑一が経過報告を行ない、いよいよ理事の選出に入ったが最初のことではあり、かつ他クラブ結成の際も慣例もあるので、世話役松田昌平氏の発言に基き選挙を省略して仮議長の指名によることに一決、それに基いて仮議長は、俵田明、中安閑一、岡田完二郎、国吉省三、安近勲治、古谷博美、田中太郎の七名を指名して満場の賛同を得た。依って七名はただちに会合して会長俵田明、副会長中安閑一、幹事国吉省三、副幹事兼会場監督弘長務、会計藤部祐雄を決定した。依って仮議長は俵田会長に議長席を譲り新会長に依って定款および細則を諮り原案通り承認を得た。
 会則によりクラブの地域を「宇部市とその近郊」とし、小野田市を含むこととし、例会日は毎週木曜日入会金は一万円、会費は年額二万円と決定された。また、この際例会場を商工会議所の三階会議室を借りることにしたが、何分にも設備はなく必要備品も調達しなければならぬので、予め打合せのできていた如く、その費用40万円は、宇部興産、宇部ソーダ、小野田セメント、古谷砿業から特別寄付を仰ぐこととなった。
 かのようにして7月10日から定例木曜日の会合を開催し、7月には2回、8月には5回、9月には4回とそれぞれ規則正しく例会を継続した。最初から結成に関係したのもにとっては一安心という想いであった。しかるに仮クラブの結成と同じに64区地区ガバナー黒川巌氏を通じて国際ロータリーに加盟承認の手続を申請したのであるが以上の如く3ヶ月を経た9月になってもまだ承認が得られない。関係者の焦慮も次第に加わって来た。
 この間国吉幹事は度々黒川ガバナーを訪問して、RI本部から来る質問に答えたのであるがR.Iの審議の過程で問題となったのは宇部興産の産業各部門から入会している会員がいずれも興産の役員であり、かつ産業各部門が独立したものとは認められなかった、謂わば興産の一事業から多数の会員が異なった職業分類を与えられているということ、もう一つは石炭砿業の中で小分類が多数あって、従って全体の分類は偏向し、バランスを欠いているという点であった。これに就いては地域事情を知っているものには必ずしも妥当を欠いたとは認めぬまでも、本部が了解に苦しむといわれるのも必しも無理ではない、要は宇部の特殊事情を詳細に説明する外はないということになって、再々その
意味の釈明書をガバナーから送附して戴いた。そうした事情によって承認は以外におくれた。
 しかし、漸く10月24日に到って国際ロータリーの加盟が理事会で認められた。ちょうどこの日が長崎に於いて開催された第64区年次地区大会の終る日であって、最後に黒川ガバナーが挨拶せられる直前に本部より承認の電報が到着し、黒川ガバナーの挨拶の最後の言葉の中にそのことを会場に報告され、満場の参会者から祝福の拍手を受けた。大会に出席した会員の喜びはこの上もない、国吉幹事はこのことを即刻宇部の俵田会長に電報した。
 回顧すれば宇部ロータリークラブが胎動を初め、呱々の声を挙げるまでには相当の期間を過ごし、漸く誕生したもの国際加入を承認せられるまでには、まだ数ヶ月の歳月を費した。そうしてこの間多数の先輩知己によって容易ならざるご援助とご配慮をいただいたことは全く感謝に耐えぬ。
 誠に思い出多き誕生の過程であった。特に御尽力を頂いた黒川ガバナーには最大級の謝意を表してもなお足りないと思う。
 創立当時の会員は37名であった。

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